12月13日

午前 額田地区の歴史を学ぶ

小野榮治 講師   於 東山会館


 東大阪は「中小企業のまち」といわれますが、その原点は伸線業にあると思われます。伸線業は太いワイヤーを少し細い穴(ダイス)に通す事により、徐々に細くしていく加工を行う業種です。

 伸線業は、天保年間(1830~43)車屋利兵衛が京都で「かんざしの足」の製造を頼まれ、これを枚岡に持ち帰って線引きしたのが始まりと伝えられています。

 額田を含む生駒西麓は急峻で、七つの谷から豊富な水が流れていました。幕末から明治にかけて、この豊富な水を利用した水車を動力源として、精米、粉末加工、針金加工が発展します。

 明治から大正にかけて、500基をこえる水車が稼働し、鉄線加工は旧枚岡市の最大産業に成長しました。ただし、大正以降は、動力は水車より電動式に替わっていきます。また、伸線でだけでなく、クギ、リベットなどの加工が盛んになります。

 しかし、昭和30~40年代になると、東南アジアとの価格競争が起こり、段々と衰退してきます。現在は、線材の複合加工、多品種少量生産型商品製造などに特化して、東大阪市内で50社前後が製造を続けています。

 このように、伸線から始まった金属加工の技術が、東大阪を「中小企業のまち」へ押し上げたと言えるのでしょう。残念ながら、後継者不足などの理由から、東大阪市内には、最盛期に24,000社程度あった中小企業が、現在6,000社余りに減っています。


午後 伸線加工業発展とその歴史を訪ねる

小野榮治 講師

①額田太鼓台収納庫

 額田地区の太鼓台は大・中・小の3基あり、この額田太鼓台収納庫にそのままの形で収納されています。毎年10月14日、15日の枚岡神社秋郷祭に宮入します。


②額田戎神社

エビスさん(事代主命)を祭神としています。山口某が霊感によって西宮のエビス神を勧請してきたといわれ、天保15年(1844)の村明細帳の「戎大明神」はこれと考えられます。


③額田寺

 医王山と号。『ぬかた縁起』によると、弘仁年中(810~824)に弘法大師の止宿のために額田首高内皆人が建立したと伝えています。額田の名族額田首の氏神であろうと思われます。

 本堂は天正年間の建築でしたが、昭和14年の火災で焼失しました。本尊薬師如来像は弘法大師の作と伝えられていましたが、罹災し残片のみが残っています。


④伸線工場

 以下は、現在も頑張って操業している会社です。

倒産、あるいは廃業した会社の跡地は、再開発により、住宅地あるいはマンションとなっています。

また、残念ながら、コロナの影響で、今回工場見学はできませんでした。

(株)浅田製作所

木ノ本伸線(株)

日本製線(株)