11月22日 午前 河内湖のおはなし=河内湖の成立と文化

本日の会場は、東大阪市文化創造館で午前中は座学です。

 

河内湖の成り立ちと文化というテーマで勝田邦夫講師の話を聞きました。午後から行くまち歩きの地図を示されて古代の東大阪東部にクジラの骨出土地が外環状線近くにあるなどの話がありました。

旧石器時代の遺跡

今から約6000年前に海となっていた東大阪ではクジラやイルカが湾内を泳いでいました。湾は土砂の堆積によって次第に浅くなり淡水化してやがて湿地となり湖と変わるが水辺に人が住みそのことが貝塚などを調べることにより様子を知ることができます。

鬼虎川遺跡、草香山遺跡、神並遺跡などから有舌尖頭器が発掘されて東部地域で発見されています。

河内平野のおいたち

22000年前鹿児島県姶良(あいら)火山の噴火により火山灰が遠く東北地方まで達し九州や中国地方の旧石器人は滅亡しました。20000年前最後の氷河期が始まり海面が100m~150m下がり日本列島は大陸とつながった時期があり大陸から動物がやってきた、また瀬戸内海に水がない時期もありました。

やがて地球の温暖化により海水が内陸まで入り込んできました。

貝塚やクジラの骨の出土によりそのことがわかります。

縄文時代には東大阪でも土偶や漁具、貝塚では魚介類が出土しています。

市内の遺跡から発見された魚介類

動物遺体

縄文人の生活

貝塚出土の魚類リスト

福井県年縞博物館の紹介がありました。

 

三方五湖の水月湖で採取した7万年分の「年縞」が残っていて姶良火山噴火の影響もわかります。

年代の「標準」ものさしとして、環境変動の記録として価値があるということです。

あとテキストにより「古事記」「日本書紀」に東大阪市域の地名や、そこを舞台とする物語・伝承についても勉強しました。

午後 上田秋成~日下の郷であそぶ~

まち歩きの案内は東大阪市観光協会の川向章介講師です。

近鉄奈良線石切駅に集合してボランティアガイドの皆さんも一緒に歩きました。

コースは石切駅⇒御所が池⇒丹波神社⇒正法寺跡⇒大龍禅寺⇒森家跡⇒旧河澄家

上田秋成は1734年から1809年、江戸後期の歌人・茶人・国学者・俳人で「雨月物語」の作者です。

水干被害に悩んでいた日下村のため、曽我丹波守古祐がご入用普請(治山治水を役所の金で)により築造したため池。現在は埋め立てられて住宅になっています。

この奥に村の人で作った遊園地があったそうです。正面に見えるのがくさか山です。

丹波神社

曽我丹波守古祐を祭っています。

大坂西町奉行を務めた人で、用水を確保し干害をなくすための工事を奉行所の負担で行い村人たちから慕われていました。今も地元では「丹波さん」と親しまれています。

最近、日下太鼓台蔵が新築されました。

ただ越え道を通って大龍禅寺に到着、門の位置は3度変わったとの説明でした。この寺の墓地には唯心尼墓があります。

唯心尼墓と開山堂

上田秋成が妻に先立たれ、患っていた目が不自由となっており、療養のため唯心尼(紫蓮尼)の勧めに従い日下の地を訪れました。

短期間ではあるが唯心尼の庵や正法寺で過ごし、随筆「山霧記」を執筆した。

森家屋敷跡

森家は庄屋で広大な敷地に居を構えていました。(今は東大阪市立日新高校になっている場所を含めその周辺が森家だったそうです。)

しかしながら幕府の政策もあり没落し今は何もなくなっています。

旧河澄家

曽我丹波守が作らせた奥座敷で庄屋であった。

上田秋成も訪れて「歌合せ」をしていたことが山霧記にも書かれています。

現在はこの建物は市の管理となり無料で見学できます。